僕の実家には、小さいながらも「神棚」があります。
亡くなった父が職人だったため、父自らが毎朝きちんと「お米、お水、お塩、お酒」のお供えをして、二礼二拍手一礼でお祀りしていました。
子供時分の僕は、そんな父の姿が不思議に思えてなりませんでした。
もちろん子供の僕でも神様は信じていました。
でもそれは都合のいい時だけの「神頼み」であって、八百萬の神々は子供の僕にとっては余りにも遠い存在でした。
そんな「罰当たり」な僕も、社会に出るようになってからは「神」とか「縁起」とかが身近に感じられるようになりました。
というのも、僕は幾つかの会社を経験してきましたが、その何れの会社にも必ず「神棚」があったからです。
社長室にのみ祀られている会社もあれば、事務所内に備えられていて、毎日朝礼の時、全員で二礼二拍手一礼をする会社もありました。
また、毎日の祈願や縁起(験)を大切にするとともに、例えば身に付ける物とか、食べ物やその他のジンクスに拘りを持っている方々にも沢山出会いました。
そして自分もいつしか「縁起」や「ジンクス」などを大切に考えるようになっていきました。
現在の事務所内にも、立派な神棚があります。
出勤時の「お早うございます!」
退勤時の「お先に失礼します!」
もちろん職場にいる全員への挨拶ですが、祀られている「神様」にも発している挨拶でもあります。